土湯温泉の歴史


土湯温泉の開湯には諸説あります。

 

 一説には神話の昔、大穴貴命(オオナムチノミコト)※ が陸奥国(ムツノクニ)視察の際、当地を訪れ荒川の畔を鉾(ホコ)で突くと不思議と霊泉が滾々(コンコン)と湧き出たと伝えられています。鉾で突いて湧き出た温泉だった事から「突き湯」と呼ばれるようになり何時しか「土湯」という地名になったとされます。※大国主命の別名とされる

 

他の一説には用明2年(西暦587年)、聖徳太子によって父である用明天皇の回復祈願と仏教布教のため秦河勝(ハタノカワカツ)が遣わされましたが、半身不随の病におかされ、志半ばにして重病となり寝込んでいると、夢枕に聖徳太子が現れ、『信夫郡土湯というところには霊泉があり、湯浴びをすれば平癒(ヘイユ)する。』とのお告げを受けました。秦河勝は重病を押し荒川の畔(ホトリ)土川まで辿り着くと、聖徳太子に告げられた通り霊泉を見つけだし湯浴びをすると数日のうちに体も軽くなったと伝えられています。